空想散歩
空想散歩
この3年、読みたいと思っていた本に非常にリラックスした状態で読むことができたこの3連休。実態は、グランマの合宿であったが、タイムスケジュールに余裕があったおかげでゆるりとした時間を過ごすことができたし、人数がこれまでの3人フルタイムから、3人+2ノマド+2アルバイト体制へと移り変わったことで違った意味での余裕ができてきた。 自称革命家の本村拓人のすぐそばにいると体力を消耗しやすいのである。 それは、彼に限らず、溢れんばかりのエネルギーを持つ人間のそばにいるということは、 これまでにも少なからずあったが、毎回そうなのである。 おっと、お話しが逸れそうだ。 今回の合宿は、お互いをシェアすることでの相互理解と、グランマとの関わり方を再度、認識する場、また今後の大きな動きを確認、共創する場でした。自分の過去や、ここ6カ月を振り返りながら、もういちど、今ここにいる必然性を確認する。そんなイメージ。 で、そんな合宿中に、読んだ本。 「ラダック 懐かしい未来」 あーあーあー、という感じで読みました。 「懐かしい未来」がここには描かれている。 それは、エコでもなく、開発援助でもなく、BoPビジネスでもない。 「変遷する幸せの形」とでも、言えるのだろうか。 西洋の文化が消化しきれない急なスピードで侵入することで、起こったラダックの変化。一人の現地化した西洋人の目を通じて、描かれるラダックの変化。 江戸時代から明治時代の日本の急激な西洋化による変化を映し出した「逝きし世の面影」にも共通するところがある。 長くなってしまうので、簡略にまとめると、一時の幻想であるかもしれない西洋化、工業化を経て、各々の経済的に先進的文化圏の人びとは「懐かしい未来」に次の世界を見出している一方で、情報が不足しているといわれる西洋化が進んでいる途上国では、逆の流れを、既存の進行方向にただ直進しており、それを推し進めているのも、先進国である。 地球の上で、人間が方向を見失って、破壊しながら、遊んでいる。 そんな印象を受けた。 ラダックと呼ばれる地方の近く、マナリーに2005年に足を運んだときも、街は観光客ありきでの姿になっており、多くの観光客向け土産店や旅行代理店、ホテルがあった。 彼らにとっては外部からの侵入者であった我々なしには生きられない生活圏を築いてしまっている。その時代に生きていないにしろ、責任をふと感じる。 そして、久しぶりに本を読んで、シュンとなった。 「貧困をつくり出し、 苦しむのも人びとであり、 貧困を克服するのも人びとなのである。 」 ネルソン・マンデラ
深く考えるには
深く考えるには
深く考えるには、外部に公開されるブログでもなく、誰にも見られない日記でもなく、 その中間地帯のメディアがほしいと思った。SNSでもないんだろうな、これ。この気持ち。